2011年3月2日水曜日

2011.03.02 イストラ半島紀 12:偏見の雲晴れて

12偏見の雲晴れて

 モスタル旧市街を出て市街地を抜ける道路を進むと、内戦の爪痕をはっきりとみることができる。上階がくずれ壁には無数の穴が開いている。その下で営業を続けているカフェなんかがいくつもある。町全体がそうではなくて、きれいに修復されているものもあるし、修復されているけれど、銃弾跡がはっきりわかるものもある。パターンはいろいろ。中には完全な廃墟のまま残されているものもあって、そんな廃墟の前には、崩れる危険を知らせるサインが必ず設置されている。正面から建物の屋根を突き抜けて空が見える。屋根がここまで破壊されているということは、銃弾ではなく砲弾によるものだろうか。それともう一つ、街中に忽然と現れるのは多くの墓地。どれも比較的新しい。理由は言うまでもない。
 
 これだけのものが詰まった町だから、ついそういうものだけに目を奪われそうになる。しかし一歩離れて眺めれば、ここにも他と何も変わらない日常がちゃんと進行している。新市街を歩けば、楽しそうな若者グループとすれ違う。かつての自分と変わらず底抜けに明るい。今にも崩れそうな廃墟の下で、猫が気持ちよさそうに昼寝をしている。こちらも日本で見るそれと何も変わらない。土産物屋にいたっては、内戦で実際に使われた武器やら軍服なんかが、戦争グッズとして売られている。なるほど、メディアを通して過去の内戦に関してだけ必要以上に情報を得ている自分は、実に偏った見方をしていたかもしれない。自分の目で見ない、肌で感じない、他人まかせの抜粋された情報から作り上げたイメージ、そこから生まれるものは、せいぜい中途半端な同情心くらいのものだ。現地を歩いてみて、そんな見方ができるようになってきた。

 悲しい歴史を忘れることはないとしても、過去ではなく、今と今後、そっちの方を向いて現在が進行している。考えてみたら当然のことかもしれないな。

 十一月の冷ややかな風が、ザグレブの方へ吹き抜ける。さあ、そろそろ都を目指そうか。

つづく

Mateo=Rich

1 件のコメント:

  1. ああ、そうか、そうかもしれない。
    何があったって、きっと人は楽しいことに向かって
    生きてゆくんです。
    それは強さ。
    平和な時も悲しい時も、
    海の向こうの知らない土地も
    今私のいる場所も、
    日常は明るく流れる。
    私は疑似体験でしか無いけど、そう思いました。

    でも、イメージトレーニングって大事よね。

    しの

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