2011年3月12日土曜日

2011.03.11 イストラ半島紀 15:新市街にある中世

15 新市街にある中世

 時間がたつのは早いもので、ふらふらしているうちに薄暗くなってきた。例の日本人ライターに会うまでは、まだ少し時間がある。そう思って広場真ん中から、レコードショップの方を振り返ると、建物の上、天に向かってそびえる二つの塔に気づいた。ホテルからも遠くに見えていた聖母被昇天大聖堂の塔だ。明るいうちは気づかなかったけど、この時間、この位置から見上げる大聖堂は、一度目に入れたら無視できない何かがある。その何かに引き寄せられるように大聖堂へ向かうことにした。広場から建物群ワンブロックを回り込んでいくと、緩やかな斜面が大聖堂正面に続いている。わざと上を見ないようにして、正面までたどり着くと、せーの、とばかりに上空を見上げた。こいつはすごい。なんという高さだろうか。体を反り返らせなくては先端が見えないのではないかと思うほどだ。高さに加えて、先端に至るまで妥協なく施された細かい装飾が強烈なオーラを作り出している。しばらく口が開いていたと思う。我に返ったのはその直後。性別がはっきりしない薄汚い恰好の人が何かを言っている。英語ではなさそうだ。よく見ると片手の肘の先がない。詳しい事情は分からないけど、言っている内容は想像がつく。そう思って回りを見ると、同じ目的と思われる人たちが何人もいた。集まってきたのか、気づかなかったのか。普段日本ではあまり目にしない光景だけに、ちょっと動揺したけど、大聖堂の前で観光客に、いったいどうしろというのか。今度はわざと上を見上げながら、大きなアーチの門をくぐっていった。

 心的世界であった中世のヨーロッパ。近代へ向かう流れの中で、多くのものが変わっていったのは確かだけど、信仰心が、現代になっても人々の拠り所となっているのがよくわかる。しっとりと静かで、心を落ち着かせて、ゆっくり自分と向き合えるような空気が流れている。空いている席に座って、目を閉じてみると、邪念が消え、肩の力が抜けていくのがわかった。なるほど、こういう場所だったのか。教典よりも大切なことは、こうして邪念を捨てて、自分と向き合うことかもしれない。そういう空気が流れる場所であるなら、無信仰に近い自分のような人間にとっても、通ってみる価値があるかもしれないと思った。

 はるか上の天井アーチ。繊細なステンドグラスの穏やかなあかり。ちょっと控えめに後ろよりの席に座って。この旅の締めくくりを考え始めていた。

つづく

Mateo=Rich

1 件のコメント:

  1. 光と闇。
    天上と俗世。

    大聖堂の前の、薄暗いひとたちにドキッとさせられる。
    どうしたって何か思わざるを得ない姿です。
    私はそれを恐らくあまり冷静に判断できない。

    自分と向き合い、自分の周りをもう一度よく見てみなきゃ。

    しの

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