16 Japanese in zagreb
イェラチッチ広場の夜は、クリスマス装飾でとてもきれい。夕方くらいから少しずつ露店が開店の準備を始めている。その多くはツリーの装飾品のお店のようだ。南側から広場に向かって延びる通りには、何のメッセージかはわからないけど、ハートのバルーンが一定の間隔で飾られている。色は赤のみ。クリスマスというよりはバレンタインを連想させる。そのハート通りのちょうど中間あたりにあるカフェでザグレブ在住の日本人と待ち合わせをしている。土方大輔32歳。ザグレブ在住のフリーライターだ。友人の紹介でメールとフェイスブックでの交流はしていたから、写真では見たことがあるけれど、会うのは今回が初めてだ。どんな感じの人だろうか。少し早めに到着して待っていると、約束の時刻ぴったりに土方はやってきた。少したれ目でとても優しい印象。身長は高く、184cmあるらしい。決して口数は多くないが、その表情からは、人の良さがにじみ出ている。この人となら仲よくなれるかもしれない。
土方に連れられてやってきたのは、小さめのクラブカフェ。映画を映すという中型モニター、バンド演奏用と思われるひな壇、DJブースなどがあって興味深い。人気メニューだというホットチョコレートを頼んで、店内を物色しようと歩きまわった。壁に掛けられたレコードは、ジャズ、ソウル系が多いようだ。置かれているフライヤーは、実に幅広いジャンルのパーティのものが混在している。このカフェの隣には、同系列が経営するクラブがあって、そこで開催されるパーティの年間スケジュールのようなものが、3ページほどの冊子にまとめられている。今夜はヒップホップのDJが集まっているようだ。あまり好みではないけど後でのぞいてみたい。今いるカフェでも、ジャズ系の年輩バンドが準備を始めている。土方と過ごす長い夜。カウンターの中央に陣取って、いろんな楽しみが詰まっていそうでわくわくする。
そういえば、スプリットでブランコ達と過ごした夜以来、ゆっくりお酒を飲んでいない。土方の勧めで注文した一杯目のお酒は、グリューワイン。日本でもよく見かけるホットワインの類で、香辛料なんかと合わせて作るのがこちらでは主流のようだ。色は赤。このお店では、シナモンを加えているそうで、独特の後味がある。赤ワインの程よい酸味と渋みは、まったくというほど残っていないから、ワインのつもりで飲むと物足りない。ワイングラスではなく、紅茶を飲むときに使うようなカップを傾けながら、なんとなく、今日までの旅の思い出をはなしてみた。永遠に続いたアドリア海沿いの道のこと、スプリットで飲んだラキアのこと、過去の内戦の激戦地で見た景色のこと。土方は特にコメントすることなく、ただうなずきながら、空のカップを指差して次の酒を促した。赤ワインを一杯ずつ注文して、小さく乾杯、一口味わう。一呼吸おいて、今度は土方が口を開く。3年前にザグレブに来て、日本の出版社の仕事で旧ユーゴ諸国を中心に取材とライティング業務を請け負っていること、もともとは写真家志望だったこと、ザグレブ市内の狭いアパートで、バジルなどのハーブを育てるのが趣味であること、そして育てたハーブをラキアと合わせて飲んだことがあり、渋すぎて飲めなかったことなど。そして意外だったのは、日本へ帰ろうと思っていることだった。ザグレブでのライティング活動は、日本の出版社や旅行社などからの仕事は絶えないけれど、日本人向けである分、狭く浅い内容ばかりで、本来目指している表現活動とは程遠いのだという。今度はこちらが、特にコメントすることなく、ただうなずいて聞いていた。それにしても見た目に反してダイナミックな人だと思った。単身ザグレブへ移り住んで、嫌になったら帰国して新たに夢を追う。なんだか少しずつ、土方という男の魅力に引き込まれていくのを感じた。ちょうど話が途切れたその時、マイルドで心地よいジャズ演奏が始まった。今日の一曲目は、セントトーマス。目を閉じれば、そこにソニーロリンズがいるようだ。
いつからかお酒はもっぱらウィスキィ・ロックゾーンに突入している。何杯目かが定かでない、いつものパターンに陥っている。聴こえてくるジャズは何曲目だろうか。ボビー・ヘブのサニー。どことなくものがなしいメロディーラインが、人生を語る二人の日本人にはとても心地よく響いた。演奏が終わると、小さく拍手がまばらに起こり、まだ鳴りやまないうちに二人は店を出た。
イェラチッチ広場へ続く通りには、例の赤いハートが並んでいる。それを追って広場に出ると、夕方はまばらだった露店が、はるか向こうまでつづいていた。赤と緑の電飾が控えめに、少し冷えるザグレブの夜を彩っている。北側の建物の上には、聖母被昇天大聖堂の塔の先端が突き出ている。そんな光景を眺めながら、建物の壁にもたれながら、そろそろ故郷へ帰ろうか、そんな気持ちになっていた。もしかしたら、土方も、同じ気持ちだったかもしれないな。
つづく
Mateo=Rich
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